大和計画で逝こう

アクセスカウンタ

zoom RSS 太平洋戦争のその後。

<<   作成日時 : 2015/12/21 00:44   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 15 / トラックバック 0 / コメント 0

1945年9月2日。この日戦艦ミズーリの艦上で大日本帝国は連合国に降伏したことになっております。でも、正確にはちょっと違います。大日本帝国政府は帝国陸海軍に対し、連合国軍に降伏させることを約束し実行させたのです。重要なことなので繰り返しますが、政府が陸海軍に対し降伏を命令し各地の部隊が連合国軍に降伏したのです。

歴史上近代において、国家は戦争で降伏したことなど1度としてありません。国家は休戦を約束する事によって双方の軍隊の戦後処理をすすめ、その後を決めることになっています。ですから太平洋戦争の場合も軍隊が降伏したのであって、日本国はポツダム宣言を受け入れ主権を喪失し占領されることを認めたことになります。主権国家大日本帝国はこうして地上から消滅してしまったのです。ただし、大日本帝国の元首であり統帥権を持つ天皇は敗戦の責任を問われず国体(天皇制)はその後も維持され、1952年に日本は主権を回復し国家として世界に復帰します。

誤解を恐れず申せば、僕も天皇陛下に戦争責任はないと思うひとりです。法的に考えると当時の天皇に国政の“拒否権”はなく認可しか出来ないので政策の凍結も阻止も出来ません。昭和天皇が唯一例外的に政治決断をしたのは戦争の休戦を前提としたポツダム宣言の受諾であり、時の帝国陸海軍最高司令官として陸海軍に対し降伏を命令したことだけです。当時の内閣総理大臣には軍隊への人事権も命令も出来ないので天皇だけしか軍隊の降伏を命令し納得させることは到底できませんでした。そういう意味では大日本帝国の軍隊は最後まで陛下に忠誠を尽くした軍隊とも言えましょう。その証拠に連合軍最高司令官として厚木に降り立ったマッカーサー元帥に対し、整列した陸軍の兵士たちは背中を向け一切媚びないのです。ただし、そのような帝国陸海軍ではあったものの大日本帝国の主権を天皇陛下から喪失させるという原因を作ったのも帝国陸海軍でした。ここが決定的にドイツやイタリアと違います。独伊は国家元首(総統)たる政治家が戦争を指導しましたが、日本は軍部が戦争を指導しました。イデオロギー(主義)が国家を統制したのではなく官僚組織の暴走をコントロール出来なかった結果、なんとなく軍部が統制し戦争を指導したのです。天皇陛下はその様な混乱の責任をとったことになってしまいましたが、当時の国民は天皇陛下に責任を擦りつけるような卑劣な行動はせず粛々と反省してくれました。

この国の国民は敢えて戦争責任を背負うことで天皇を守り、国も守るという選択をしたのです。だから僕は、敗戦後の日本にこそ誇りを感じます。本当に辛く厳しい戦いは戦後であり苦闘を戦い抜いて今日の繁栄を得たと感謝しております。そのような感謝を今上天皇にも自然と感じますし、尊崇の念を抱く気持ちも自然なのかもしれません。12月23日はそんなちょっと特別な日だったりします。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 15
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
面白い 面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
太平洋戦争のその後。 大和計画で逝こう/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる